三好芥川城の会

教科書が教えない 幻の堺幕府 【壱】

 武家が朝廷から委託される形で実質的に国を支配した幕府政権は鎌倉、室町、江戸の3つが教科書にも載っているが、「堺幕府」が存在したといういうことはあまり知られていない。
 室町時代後期、京都から将軍を追放し、堺を拠点とする足利義維
(よしつな)が事実上の将軍になったのだ。
 わずか5年の短命に終わったが、強大な軍事力を有する三好元長らに支えられ、堺を拠点に京都を掌握、畿内をほぼ制圧した。
 
幻の中央政権・堺幕府とは―。



 室町後期 畿内を制圧
 
  
 堺市宿院町東にある顕本寺。
宝徳3(1451)年、
日隆聖人(にちりゅうしょうにん)が創建した法華宗の寺で、堺幕府ゆかりの寺でもある。

 同寺を訪れると、特異な形をした門が目を引く。
柱と柱の間に架ける桁(けた)の中央部分が切り取られている。
菅原善隆(ぜんりゅう)住職によると、寺には豊臣秀吉が頻繁に出入りしていたそうで、「馬に乗って訪れる秀吉の頭が桁に当たらないよう、切り取られたと寺の記録に残っています」。
 
  ■跡目争い発端

 秀吉はともかく、堺幕府である。
よく手入れされたソテツがあちこちにある境内を進むと、古い石の墓がある。
政権の中心人物、三好元長の墓だ。

 「一向宗門徒の大群に囲まれた元長がこの寺で自刃したことで堺幕府は崩壊しました。ここが終焉の地なのです」


  わずか5年で瓦解
 
 堺幕府はどのようにして成立したのか。
発端は足利将軍家と細川管領家の跡目争いだった。
 大永6(1526)年、当時の畿内は応仁の乱以降、足利将軍家や細川管領家の跡目争いで混乱していた。
 野心を持った阿波(徳島県)の武将・元長が、室町幕府第12代将軍・足利義晴と管領・細川高国の打倒を目指して、義晴の兄弟である足利義維と、高国の義理の甥にあたる細川晴元を担ぎだした。

 元長は阿波細川家の家臣で、後に織田信長以前に天下を治めた戦国武将、三好長慶の父として知られる。
晴元は、管領になる前の高国と細川家の家督争いをしていた阿波細川家・澄元の子。
義維は阿波細川家の庇護のもとに育った将軍候補という関係だ。


  ■将軍不在の京

 
翌大永7(1527)年2月の京都・桂川の戦いで、阿波勢と丹波(京都府中西部)・柳本賢治らが連合する先遣隊が幕府軍を撃破、足利義晴と細川高国は近江に逃れた。
幕府の官僚たちの多くも2人の後を追い、もぬけの殻同然となった京都は幕府の機能を失った。

 勝利を受け、元長一行を乗せた船が堺に到着。
船には足利義維と細川晴元も乗っていた。
年齢は元長が最年長で20代、義維が10代後半、晴元はまだ10代前半だったとされる。
年長者の元長が将軍候補と管領候補をリードするという形だった。

 一行は上洛を急がず、堺に居を構えた。

 やがて義維は朝廷から、近い将来、征夷大将軍になる人物が就く官位「左馬の守」に任ぜられる。
京都の公家・鷲尾隆康による当時の日記「二水記」には「南方武家(義維のこと)が左馬の守に任官されたと伝え聞く」と記されている。
さらに二水記には、義維が京都などで「堺の公方」「堺大樹(たいじゅ)」「堺武家」など現役の将軍と同じ呼称で呼ばれていることも記されている。

 堺市博物館の元学芸員、吉田豊さんは「将軍不在の京都に代わり、義維がいる堺に事実上の幕府が機能していたことを示しています」と解説する。
  
  ■巨大な軍事力

 堺に誕生した「新政権」は、トップの将軍が足利義維、ナンバー2の管領が細川晴元、そして軍司令官が三好元長という陣容。
義維と晴元をリードする元長によって体制固めは着々と進められていった。

 軍事的には、桂川の戦いで同盟した柳町賢治の他、摂津(大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の茨木長隆、河内(大阪府東部)の木沢長政らと手を結んだ。

 そして、元長自らは京都のお膝元、山城(京都府中南部)の守護代(守護の代官)に就任。
圧倒的な軍事力で畿内をほぼ抑え、京都を掌握した。

 「本当は京都に入りたかったんでしょうが、堺は元長や晴元の本拠である阿波と海でつながっており、ここで畿内の情勢を見極めてからということでしょう」
 と吉田さんは元長らが上洛を急がなかった理由を推測する。

 堺を拠点とした新政権。
 次は、「堺幕府」はどこにあったのかについて触れたい。

 

●顕本寺

 堺市堺区宿院町東。
元は同区甲斐町東にあったとされる。
宝徳3(1451)年、法華宗再興に尽力した日隆聖人が創建。
京都に本応寺(後の本能寺)を建立した日隆聖人は、以前から海外貿易が盛んで商人や武家の出入りが多い堺での布教を志し、何度も訪れていたことから、創建当初から、堺の豪商らの寄進を受けたという。

 


顕本寺の門


顕本寺本堂

 
 

菅原善隆住職


   


顕本寺境内にある三好元長の墓
の前で説明する菅原善隆住職
 
 幻の堺幕府 年表
【鎌倉幕府】
  元弘3(1333)年
 鎌倉幕府が滅亡
【室町幕府】
  建武3(1336)年
 室町幕府成立  
   暦応元(1338)年  足利尊氏が征夷大将軍に
   応人元(1467)年  応仁の乱
 【堺幕府】 
  大永7(1527)年
  三好元長らが室町幕府軍を破り、将軍らを近江へ追いやり、堺幕府開始
   享禄4(1531)年  摂津・天王寺の戦いで堺幕府が細川高国を滅ぼす
   享禄5(1532)年   内紛を経て堺幕府滅亡  
   元亀4(1573)年  織田信長が足利義昭を河内に追放。
室町幕府滅亡
   天正10(1582)年  本能寺の変、織田信長死去
     13(1585)年    豊臣秀吉が関白に
   慶長 3(1598)年  豊臣秀吉死去
     5(1600)年  関ヶ原の戦い
 【江戸幕府】
  慶長8(1603)年
 徳川家康が征夷大将軍に
                

 


 
 三好元長画像









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